September 3, 2012

me - mory

なにかを記憶するということはひとつのフィクションをつくるということ

July 6, 2012

cases

case 1. もう正しくは会うこともない年上のきみを想う

またこの季節がやってくる。きみはまた一つ、年をとる。わたしから一つ、遠ざかる。誕生日と誕生日を狭んだ半年の時間をかけてわたしたちは毎年近づいたり遠ざかったりするけれど、結局のところ、わたしたちの距離は、変わらな、い。わたしたちの距離、は、変、わ、らない。むかしは何故か追いつけるイメージを抱いていたのだけれど、どうやら追いつけるのは過去のきみにだということにはたと気づく。現在のわたしは過去のきみに追いつき、未来のわたしは現在のきみに追いつき、時制を超えてしか、わたしたちの距離は、縮まらない。全速力で駆けて、駆けて、駆けて、生き抜いて、必死で生き抜いて、息切れして、脚攣って、倒れながらたどり着いて、そこで気づく。精一杯に伸ばしたこの腕の、その先の精一杯に伸ばしたこの手の、その先の精一杯に伸ばしたこの指の、その先の精一杯に伸ばしたこの爪の、その先を、すり抜けて、わたしが、そこに着いた時には、もう、もう、もう、いないね、いつも、笑っちゃうほどいつも、きみはもう、いないんだね。


case 2. ほんとうはまだ会ってもいない年下のきみを想う

きみはまだしらない。若さというものはそれだけで相手を一方的に傷つけることができるものだということを。わたしだって昔はそんなことしらなかった。若いときはわたしだって、こっちは何もかも、足りなくて、無防備なまま、晒されて、なんてずるいんだ、なんて不公平なんだ、って思ってた。でも違う。それは全く違う。若いということは、それだけで圧勝なのだ。圧・倒・的・勝・利。今はそれがわかる。出刃包丁で胸を抉られるようにわかる。若さをまだ正しくしらないきみは、存在が暴力だと思う。酷く美しい暴力だと思う。きみはまだしらない。だからわたしは注意深くかわす。長い時間をかけて粉々になってもう僅かしか残っていないプライドを懸命にかき集めて、きみのキラッキラした阿呆みたいな笑顔をかわす。射抜くような目線をかわし、伸びやかな指をかわす。きみはまだしらない。夜寝て、朝起きて、それだけで毎日確実に損なわれていくものがあることを。失ってしまったすべてをまだ充分に持ち合わせているきみを一度手に入れてしまったあとの失うことの恐ろしさを。なにかを二度失うときに味わう叩きのめされるような非情な惨めさを。きみはまだしらない。だから、その若さがどれぐらいひとを傷つけることができるのか、きみがいつかそれをしったならわたしは初めてきみをかわすことをやめる。きみに会える。でも残念だね。そのときにはきっと、きみは、もう、若くない。


case 3. また偶然会ってしまっただいたい同い年のきみを想う

駅の雑踏の中であっても一瞬できみだとわかったけれど、どんなテンションで話せば重すぎないか或いは軽すぎないかがわからなくて、しばらく後ろから眺めていた。眺めていたらどうしても触れたくなってしまって、それをごまかすために少し強く叩いて、よっ、という思いつける一番短い挨拶をした。きみはびっくりして振り返って、その顔をひさしぶりに見たらわたしはすごくすごくすごく嬉しくなってしまって、でもそれが伝わったら負けな気がしたから、すぐに前を向いて、次に乗り換える電車の話とかをした。都心の地下鉄の乗り換え通路はいつも途方もなく長いのに、その日に限って短く感じて、もっとゆっくり歩きたかったけれど、おせーよと思われたら癪なので寧ろやや早足で歩いた。ホームに着くときみが乗るほうの電車が早々に来てしまったから、ねえまた会いたい、ねえほんとはずっとまた会いたかったんだよ、って言いたかったけれど、それで今より嫌われたらいやだなと思って結局言えなかった。じゃねー、ばいばーい、とゆるい感じで手を振って、逆方向の電車に乗りこむきみを見送ることもせず、ゆっくりとすこし先にあるキヨスクの影まで歩いて、きみから絶対に見られない角度で、泣いた。

May 28, 2011

弱く醜く足掻くきみを想う

うつむいて悩みこむこと
うずくまって泣いていること
立ち尽くして動けないこと
言葉にできないすべてのこと
言葉にしてしまったすへての嘘
白とも黒とも決められないこと
負けしかないジャンケン




そのすべてを私は


只管にいとおしい、と想う

April 4, 2011

ずーん

3月11日から1週間ぐらい経った頃から、心臓の下のあたりに嫌な気持ちの塊のような、とにかく巨大なずーんとしたものが現れた。それが原因なのか定期的に謎の腹痛に襲われるようになり、それは日を追うごとに悪化した。そのずーんはおそらく最初から巨大だったわけではなく、小さなものがどんどん大きくなっていったのだと思うけれど、とにかく気づいたときには既に巨大だった。まあでも、酒でも飲みながら誰かに話せば解消されるよねと思ったので、それを早速実践しようと誰とどこの飲み屋に行くかまで考えたのだけれど、お誘いのメールを打とうとして、ふと考え、唖然として、そしてやめた。びっくりすることに何をどう話していいのかまったくわからなかったから。びっくり。びっくりしちゃうよねー。だってたしかにそこにあるのに、それについて、全然言語化できないんだもの。


それから考えた。しょうがないからひとりで考えた。その自分が抱えてるずーんとしたものが一体なんなのか。何が嫌なのか。少しでも言葉にできないか。実に考え続けた。考え過ぎてちょっと頭おかしくなって、逆にもうお腹がいつか痛くなくなってしまうのが怖い、痛くなくなったら考えなくなっちゃうから、だからどうしたらずっとお腹を痛くし続けられるか考えよう、とか謎の結論に行き着きかけたりさえした。さすがに引き返してきたけどそっからは。


実はまだお腹は時々痛くなるし、ずーんもまだある。だけどようやくずーんのうちちょっとだけ、言葉にできる気がしてきたから記録しておこうと思う。これは始まりでも終わりでもない、中途半端な場所の中途半端な挨拶みたいなもの。




ずーんを解きほぐして見えた1個目。考えていてわかったのは、私はどんな状況においても「ひとつになろう日本」と言われたり「みんなでがんばろう」と言われることに対してとても違和感がある、いや、かなりの生理的嫌悪感があるということ。たしかに支援の仕方としてみんながテンションを上げて一斉に同じ方向を見て何かを執り行うのはとても効率がいいと思うし「正しい」のだろうと脳みそでは理解するので一応はその波に乗ろうとした。けれど、全体主義的な同調圧力にジャブを受け続けた結果、周囲と違うことをしたり、もしくは同じことをしなかったりすることにうっかりヘドロのような罪悪感や無力感に襲われ、一方で心と身体は全力で、そんなん流されるなんて絶対に嫌だ、こっから一歩も動かない、といって泣き喚きながら脳みそに向かってエンドレスに蛍光オレンジ色のゲロを嘔吐し続けるという嫌がらせ的反抗を繰り広げ、もうぐっちゃぐちゃの蛍光オレンジ色とヘドロ色が混じり合う惨憺たる状況となったわけで、これがずーんの一部を形成したことは間違いないだろう。でももう私は脳みそではなく心と身体に従うことにした。みんなと一緒であれば安心感は得られるのかもしれない。けどね、私はひとりでいることにした。自分で思考し自分で決断し自分で責任を負いたいから。私の行動は私が決める。何をいつどうするかは私が決める。みんなも日本も日本人も関係ない。


解きほぐして、2個目。カナシミが蔑ろにされたり、当たり前のように比較されて馬鹿にされたりするのがとてもとても嫌でたまらなくて、それは喉から血が吹き出るほど破壊的な悲鳴を上げたくなるほどで、でも実際に悲鳴を上げることを自粛して代わりに押し黙っていたら、それはずーんになった。いつだって事件は世界中で起きていてそれは大小さまざまで、パブリックなことプライベートなこと、いろんなことがある。人生には本当に、いろんなことがある。もちろん大きな事件と言われるものはあって、そこには極端に大変なひとたちがいて、誤解の無いように言っておくけど、それには間違いなく胸が文字通り締め付けられる思いをする。本当に。本当に容赦ないと思うし、正直に言って遙かに想像を絶している。でも私が怖いのはセンセーショナルではないことやタイムリーではないことはもう悲しむことも許されなくなってしまっているということ。マイノリティーはいつも見捨てられる。「助かっただけよかったね」「死ななかったんだからいいじゃん」「みんなもっと大変なんだよ」。こういう言葉で潰されていくひとたちがたくさんいる。そんなの絶対におかしい。カナシミは相対化されてはいけない。悲しんでいけないことなんてひとつもない。大切なひとを1人失った子に対して「でもみんなもっと大変だからね」というのは間違っている。ましてやそういう子が「私より大変なひとがいっぱいいるんだから悲しんじゃいけないんだ」と思うのはさらに間違っている。家が流された人と突然首を切られた人とペットがしんだ人と陰惨ないじめにあっている人のカナシミに優劣はないし、被災地のカナシミも東京のカナシミも沖縄のカナシミも世界のカナシミもそれぞれにあって、それぞれ必要なだけ悲しめばいい。大声をあげて泣けばいいし、或いは只管に祈ればいい。一周回ってもう泣くことも祈ることもできないなら、もしかしたら笑えばいい。


みんなが大きな物語の大きなカナシミの塊を見てそこに大きな手を差し伸べるのなら、効率は悪くても、わたしはいつまでも馬鹿みたいな愚直さでひとつひとつのカナシミと愛をもって添い寝することを考えようと思う。みんなが「そんなことよりいま重要なことあるじゃん」、といって見向きもしない、忘れてしまった方のカナシミと添い寝する。今いろんなアートやらなんやらの人たちがこぞって「今こそ●●の力を!今我々にできること!」と大きな声をあげているけれど、だとしたら私はその間みんなが忘れ去っているカナシミとともにいよう。そもそも「今」「ここ」「この機会」以外でもいつでも100%の無防備な愛や祈りとなるのが●●の力そのものだと私は思っているよ。




ようやく少しだけ言葉にできた。こんなこと。こんなことがずーんの中に詰まってた。長かったなー。もう一生言葉にできないと思ってた。


少しだけれど、書いたら、書いたぶんだけ、ずーんが小さくなった。ぜんぶ書けたら無くなるのかな。少しずつ小さくなって見えなくなって、それともどこかで突然無くなるのかな。


でも残りのずーんはこのままにしておこうかな、と今ここまで書いて思っている。言葉にしてしまうと、ずーんのすべては伝わらないような気がするから。少しだけ言葉にして、残りは残す。ずーんは言葉にした分は小さくなったから、多分もうお腹は大丈夫。これでも引き続き痛かったら内科か産婦人科に駆け込むべきだと思う。


残りのずーんは、ずっとずーんのまま取っておこう。そしていつか得体の知れない生物に成長したらいいな、って思う。そうしたらでたらめな名前をつけて飼おう。散歩もさせよう。あと歌も一緒に歌おう。そうしよう。きっとそれがいい。楽しみだな。その日を楽しみに待つんだ。




最後に、被災者の皆様に謹んで、


と最近もらう商業メールの冒頭に「御世話になっております」と同様のカジュアルさで書かれていることを自分も書きそうになったが、やめる。たくさんの名前のあるひとと名前すらまだわからないひとのことを私は想う。数えきれない数と測りきれない重さのカナシミのことを想う。小さいこと大きいことひとつひとつのことを丁寧に想う。息を詰め、目を閉じて、言葉ではない方法で祈る。この震災と繋がっているすべてのカナシミのことを。そして同時にこの震災とはまったく繋がっていないすべてのカナシミのことも。

February 13, 2011

玉ねぎが、スキ

玉ねぎがスキで、特に火を通したものがスキで、
昔からフライドボテトとオニオンリングの選択肢があるファストフード店では
なんの迷いもなくオニオンリングを選択してきたけれど
蒸し野菜の素朴さと贅沢さに目覚めてからは
もう本当に、玉ねぎを蒸しては、そればかりを食している。


野菜に生まれ変わるなら、玉ねぎになりたいと思う。


なにより、いろいろと表情があるのがよい。
生のままだと苦くって辛くって
切る時なんて相手に涙を流させるほどの攻撃力を見せるのに
ちょっとあっためただけで
それはそれはいとも簡単に甘くなってしまう
そのギャップが愛おしい。


火が通ってゆくにつれて白が透明になっていって美しい筋の模様が際立って
最終的には飴色になるのもうっとりするようなロマンチシズムを感じてしまうのだ。


そもそもあのぽってりとした丸い形状もとても魅力的で。
何層にもなっているからといってどんどん剥いていくとただ中心にたどり着く。
外と中の境目が曖昧な部分もよい。外は中に自然と続いていく。


それに和食・洋食・中華はもとより、ベトナム・インド・イタリア・韓国、
どんな料理を相手にしても玉ねぎは臆することなく対峙する。
相手に染まることなく、自分を主張しながらも、見事なアンサンブルを奏でるのだ。


実は昔は
かみさまが配置したような美しい穴に感動し、
一番好きな野菜は、圧倒的にレンコンであった。
でもあれは憧れであって、自分がなるには少し難しい気がしている。
美しく凛としていながら、しっかりものな和風美人な印象。
質素堅実でありながら、たおやかで微笑みを絶やさないような。
残念ながらあまりにも素質を持ち合わせていない。


他にもトマトや人参も好きだけれど
あんなに陽気な人気者を目指すのもちょっと気が引ける。
生姜やニンニクはもうちょっと人生経験が必要だ。
そうやって考えていくと、もう玉ねぎ以外にはありえないのだ。




嗚呼、玉ねぎになりたい。
そうして美味しく食べてもらえればいいのに。


今日も丸のまま玉ねぎを蒸して、
その白い艶やかな肌に触れながらそっと目を閉じる。


その日のことを、夢想する。

September 25, 2010

恋をするときのこと

一瞬で恋におちる。いつも。それは必ずしも一目惚れとは同義ではない。勿論一目惚れのことだってあるけれど、そうじゃなくて、たとえばずっと一緒にいたけど全くなんとも思ってなかったひと、ずっと憎いと思ってたひと、そんなひとたちにだって、一瞬が、その一瞬さえあれば、私は易々と、恋におちてしまう。すごくみっともない。制御できないこと、予想外のこと、すごくみっともない。私は絵に描いたバカ女みたいに、ぽかんと口を開いたまま、あらゆる理性を失う。震えたり、声が上ずったり、わけもなく駆け出したくなったり、意味がわからない。ただただあなたのことを触りたくて触られたくて他のことはなに一つ考えられなくなってしまう。そのうえ大変面倒なことに、どんなに大きな犠牲を払っても、そうたとえば予め注意深く構築されてきたキミとの関係性や、他の誰かとの関係性をすべてがらがらがっしゃんと崩し葬り去ることになったとしても、そのことをキミに告げたくなってしまう。嗚呼、真正の阿呆のよう。全部台無しになるし、私には私の人生があってそれはなによりも優先されるべきで、こんな不確定要素に乱されるほど落ちぶれたものではないのだ、と私は頭の奥の奥から憤慨する。


でもね、私はその一瞬が、このくだらなく中途半端な人生において、なによりも尊いものだと知っている。私が他のひとより秀でていることが一つでもあるとしたら、きっと、コレだ。そのことをちゃんと知っているということ。誇れるものなんて何一つ無いけれど、あの一瞬がどれだけ尊くてそして絶対であるかを知っていることに関してだけは、心のなかでいつも、ひとり密やかに誇っている。

July 18, 2010

泣き笑い

いっぱいいっぱい笑っていたら笑いすぎて涙が出て止まらなくなったから「ウケルー。笑いすぎて涙出てきたんだけどー。」と息も絶え絶え宣言して、宣言したのをいいことに、ますます笑ってますます泣いて、ますます泣いていられるよう、只管に全力で笑った

March 14, 2010

i didn't mean to.

わかりすぎてしまうのは、孤独で、かつ、残酷だ。
だから後ろめたくって親切ぶる。ほんの少し犠牲を払っていい人ぶる。

ぶんなきゃいいのにねー。めんどくせーなー。
でもなんか申し訳なくなっちゃうんだよね。わかっちゃったんだよごめんね。


でも誰も気づいてないことにたった1 人で気づくのは、快感ではある。

February 21, 2010

ほんとはほんとになんにも

無防備であることはなによりつよいこと。

ほんとになにも持ってないのに、「持ってないわけないだろー、丸腰で来ないだろー、なんかすごい物を隠し持ってるんじゃないの?裏があるんじゃないの?」とみんな思って、勝手におそれ、警戒する。それはそれはものすごく。

で、ちょっとは負けてみたい気でいたのに、結局気づくとひとりきりで勝っていることが度々あって、それはどちら側も何とも滑稽で、笑うしかない。


じんせいは笑うしかないことばかり。

January 23, 2010

is this it

今日の夜はTHIS IS ITを見ようかなー、と思っていたそれはそれは穏やかな11月の昼下がりに、知り合いの女の子から電話があって、私はとても大切なひとがその日の早朝に突然しんでいたことを聞かされた。それはあまりにも唐突であっけなく、笑えるほどだった。どんな優れた冗談もあれにはなかなか敵わないんじゃなかろうか。ショックも悲しみもなく、とても冷静だったので、そのまま予定どおりTHIS IS ITを見に行ってもよかったのだけれど、喪服はキレイなのあるよな、でも袱紗とか数珠とか誰かに貸してたっけ、あ、あと日曜と土曜の予定を逆にしないと通夜間に合わないな、アポ取り直せるかな、とかいろいろ考えなきゃいけないこともあったので、結局やめて直帰した。

そうして通夜に出て、大人の風情で儀式をつつがなく行い、実感が湧かないまま数日を過ごし、突然カナシミの津波に襲われて、ああ時間差でやってくるのねまた、もうしってるよそんなこと、と思ってもう一人の自分がそれをガチで受け止めたり、そこから回復したり、ふとしたきっかけでまた引き摺られたり、ということを繰り返しながら年を越して、見逃したと思っていたTHIS IS ITがもう一度上映されていたから、今度こそ観に行かなくては!と思い、1月も半ば過ぎてようや意気揚々とマイケルを見に行くこととなった。

私はかなりノリノリで、きっと一緒に歌っちゃったり、周りに迷惑をかけるほど踊っちゃったりしちゃうんだろうなーとライブ感覚ではじまりを待っていた。体力を使いそうだったから、腹ごしらえまでしてから行った。だけれど、いざはじまってマイケルの姿を見たとたん、私は自分でも引くぐらい嗚咽を上げて号泣していたのだった。

この人がもういないということ。ある日前触れもなく突然いなくなって、もうずっといないということ。それはマイケルと同じ50代とは到底思えない、いわゆるおじさん体型で、ぽってりしたおなかをゆさゆささせていた、親父ギャグばっかり言っていた、ちっちゃい子供を扱うように私にやたらとお菓子をくれた、とてもとても大切なひとのことを想起させるのには十分で、どんどんどんどん二人はダブっていった。正確には二人の不在が。「どの曲も知ってる曲だし、細かい指示出しとかプロっぽいし、やっぱこのひと最高のエンターテイナーだな、世紀の天才だな、ほんと同じ時代に生まれてよかったよねー」、っていう感想を持って、家でジャクソン5のCDとかを探し出すつもりでいたのに、私が感じたのはただただ、この人がいない、この人もいない、ということだった。音楽の映画、であるはずだったのに、それは不在と死の映画だった。私にとっては。

それはおそらくTHIS IS IT製作委員会の思惑とも「みたみた~?どうだった?よかったよねー!」と感想を共有したいであろう友人たちの思惑とも完全にずれていて、とても幼稚で洗練の欠片もない酷い感想だった。自分でもびっくりするほどに。でもこの激しい感情は無かったことにはしないことにした。もうだれも私より先にしななければいいのに、と思う。そう思っている割には、他の同年代に比べて明らかに葬式に出席しすぎていて、皮肉なものだな、とも思う。これからもどんどん私よりみんな先にしぬのだろう。大人になったらいちいちこんなに動揺しなくなるのかな、と思っていたけれど、とりあえず30歳現在、そんな実感は全くないのでこれからもいちいち動揺するのだろう。でもしかたがないので、諦める。そうやって動揺しながらたくさんのひとを看取ろうと思う。