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March 2007 アーカイブ

March 17, 2007

あの傘が、スキ

傘を持っていた。
もう10年以上昔のことだ。



倉庫行き直前のものたちが、埃に塗れてひっそりと暮らす、玄関前にあるクローゼット。 その奥底から見つけられ、親に捨てられそうになっていたその傘に、あたしはごく平凡な土曜日、思いがけず運命的な一目惚れをした。それは赤い小ぶりの傘で、 内側にはチェックの裏地がついていた。ワンタッチで開くタイプで けれど少し曲がった柄を擦りあがっていく金具は いつもぎこちなくゆっくりで 、格好良さも高級感も微塵もなかった。 なんてことない傘。 取り柄という取り柄もない、なんてことない傘だった。なのにドキドキした。ばかみたいに。どこがいいのかもわからない、赤い、チェックの、ワンタッチ開閉の、傘に。それはあたしに属したがっていた。あたしはそれに属されたがっていた。それだけのこと。けれど強烈に引っ張っていくチカラ、みたいなもの。


そうして、ただでさえ雨が好きだったあたしはそれからことさら雨が降るのを心待ちにして、降れば必ず、その傘を差した。濃い赤とチェックが雨の中滲むのを、あたしはずっと飽きずに見ていた。内側から、外側から、どこから見ても見惚れた。

それは、ひとつの恋だったのだ。

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事件が起こったのはある蒸し暑いむんとした夏の朝だった。

その日降水確率に胸を弾ませ、赤い傘を持ったあたしはいつものようにたまプラーザ駅から三軒茶屋駅に向けて急行電車に乗った。日常的な地獄。朝の満員電車は不快だったが、そんな不快にも人は慣れるようにできている。どこで力を入れて、どこで抜いて、どこまで人に寛容であり、どこから突き落とすか、という微妙な加減もいつの間にか身に染みついていくのである。やがて電車は溝の口に到着し、あたしは降りる人たちの波に呑まれて一度ホームに降り立った。降りる人たちと入れ替わりに、必死の形相で汗臭いオトナたちが乗り込んでいく。彼らの勢いに負け、降りるのは一番最初だったのに、あたしは一番最後に乗り込むことになった。最後と思って乗り込んでも、発車を待っている間にどんどんと、ドアが閉まる直前まで走りこんでくる人々。オトナになってもこんなことしなきゃならないなんてなんかかわいそうだ。向こうからしてみたら、若い頃からこんな目に遭うなんて、と、こっちの方がよっぽど同情を買っているのかもしれないけれど。


押し寿司の具のようになっても尚、あたしは大事な傘を失くさないよう、しっかりと握っていた。けれど傘の柄は握っていても、二人の巨大なオトナたちに挟まれた傘の先っぽは、努力も空しく、ずるずるとドアの方へと流れていった。ちょっと気を抜くと、いろんなものが人に流されてしまう。あたしの右手は痺れてしまって、とてもじゃないけれど傘を体の方に引き寄せることはできないままでいて、赤い傘の下半分ほどは、まもなくあたしの視界から消えた。駅員が来て、人々を詰め込み、ドアを少しづつ閉める。そうして電車は可哀想になるような重量を背中に乗せてそれでもなんとか次の二子玉川園駅までカラダを引き摺りながらだらだらと走っていった。


大井町線の走る二子玉川園駅ではいつも大量に人が降りる。ドアが開くと、人々は暴発したライフルの弾のようにホームへと転がりでた。あたしももちろん否応もなく押し出される。むんとたっぷり水分を含んだ外の空気を心ゆくまで吸った。夏はもうすぐそこまでやってきている。そんなことを知らせるような生温い風が撫でた。都会の空気は汚れているというけれど、それでも吸わないよりはましだ。

そのときだった。

ふぅ、とちょっとはましな外界の空気を吸って、もう一度電車に乗り込もうとしたあたしが、ふと下に目を何気なく遣ると、あたしの右手には、折れ曲がってボロボロになった一本の傘があった。形があり、機能があるものが一瞬でただの物体になってしまうものなのかと驚くほどに、それはジグザグに折れ、赤い布に黒い線のような跡までついて、見事に死んでいた。それは最早傘ではなかった。金属と布のどうしようもない塊。意味を為さない骨壷の中の灰と一緒だった。


あたしは呆然とそこに立ち尽くし、一層太った急行電車はあたしを置き去りにして同じスピードで走り去った。


次の瞬間、気がつくとあたしは反対方向の電車に乗っていた。自分でも驚くほどの怒りで、あたしは震えていた。傘の壊れ方からして、傘は人と人とに挟まって壊れたのではなく、ドアとドアとに挟まれたことは明らかだった。そしてそのドアのそばでは、自力ではもう閉まらないドアを、人を押し込めながら閉めていた駅員がいたことをあたしは覚えていた。わざとなのかわざとじゃないのか。わからないけれど、あの駅員にはこの傘を救えたはずだ。きちんと傘が挟まらないように、ちょっと手を添えてドアをゆっくりと閉じる。それだけのことでよかったのに。憎しみが沸き起こる。溝の口の駅の様子が何度も頭の中でリピートされる。手、帽子、声。駅員の部分が頭の中を漂う。その隙間をうねるように埋めていく怒り。反対方向の電車は、10分もしないうちにあたしをもう一度溝の口の駅に下ろした。あたしの足に、ためらいはなかった。溝の口の駅構内を闊歩して、あたしは真っ直ぐと駅員室へと向かった。がらんとした駅員室の窓ガラスを割れんばかりに何度も叩く。奥の方から出てきた年配の駅員は訝しそうにあたしを見ながらも、丁寧な口調で、どうしましたか、と聞いた。

ちょっと、あのですね、すいませんけど、えーと、要するに、あたし、急行に、今さっきの、乗ってたんです。2番線です。水天宮前方面です。そしたら、この駅の駅員が、こう、ドア係をしていて、あたしの乗ってたところの、で、あたし、この傘を持っていて、でもこの傘が、人に挟まれて、ドアの方にいっちゃって、でもどうしようもできなくて、そしたら、駅員さんが、ドア閉めるときに、この傘、ドアに挟んで、でもあたしの位置からは、見えないじゃないですか、で、二子玉川で、下りた時に気づいて、傘、こんなんなちゃってて、ひどいじゃないですか?知ってて、見えてて、挟むなんて。ちょっと、こう、ちょっと、角度とか変えて、ちゃんと入れてくれることだってできたのに、なのに、こんなん、なっちゃってて、あたし、おかしいと思うんです、そういうの、絶対、なんていうか、とにかく、おかしいと思うんです、だから、今、二子玉川から戻ってきて、言いにきたんです。

ああ、そうですか、と駅員は言った。
それは申し訳なかったです、弁償しましょう、その傘、おいくらだったんですか。

駅員はそういって冷ややかにその情けない傘を舐めるように見た。




あたしは、気づくとその場で号泣していた。


さすがに慌てた駅員は、1万円でいいか、とか、駅員の顔覚えてるのでしたら、直接謝らせますが、とか、いろいろ遠くのほうで言っていた。

でも、あたしは、気づいたのだった。

あたしは
金も謝罪も反省も、そんなものは何一ついらなかった。

あたしはただ、
恋人の喪失を、1人で抱え込むことができなかったのだ。


誰かに
あたしと傘と恋と喪失を
ちゃんと知って
そして一緒に泣いてもらいたかったのだ。




ようやく泣き止んだあたしは、今更少しオトナぶって言った。

いえ、いいんです、ただ、今後気をつけて頂ければ。取り乱してしまってすみません。大事な傘だったもので。お金はいりません。この傘が返ってくるわけでもないので。お騒がせしました。失礼します。


呆れて見送る駅員の視線を背中に感じながら、あたしは学校へと向かった。


学校に行ったら、笑い話にして話そう


そう思ってあたしは、その通りにした。






それから月日は恐ろしいほど経ち、あたしはいくつもの傘を持った。
多くは安いビニール傘で、買っては失くし、また買った。


なんであんなにあの傘が好きだったのかはよくわからない。
けれどあの傘が好きだった、あの感情が、本物であったことはできれば信じたいと思っている。


今ではあれでよかったのかもしれない思う。
ずっと一緒にいて、マンネリになって、なんとなく飽きて嫌になってしまったよりは。
そんなことない、と昔のあたしは怒るだろうか。
それとも昔のあたしは、それすらわかってて泣いたのだろうか。


それに逆もあるのかもしれない。




あのとき、傘が、あたしを見捨てたのかもしれない。




もう一生会えないけれど
あたしにとって、今でも傘は、あの傘だけだ。


そしてそれは、きっとずっと変わらないのだろう。




この好きは、決して、過去形にはならないのだ。

March 16, 2007

lost

迷子は、自由だ。

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