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case 1. もう正しくは会うこともない年上のきみを想う

またこの季節がやってくる。きみはまた一つ、年をとる。わたしから一つ、遠ざかる。誕生日と誕生日を狭んだ半年の時間をかけてわたしたちは毎年近づいたり遠ざかったりするけれど、結局のところ、わたしたちの距離は、変わらな、い。わたしたちの距離、は、変、わ、らない。むかしは何故か追いつけるイメージを抱いていたのだけれど、どうやら追いつけるのは過去のきみにだということにはたと気づく。現在のわたしは過去のきみに追いつき、未来のわたしは現在のきみに追いつき、時制を超えてしか、わたしたちの距離は、縮まらない。全速力で駆けて、駆けて、駆けて、生き抜いて、必死で生き抜いて、息切れして、脚攣って、倒れながらたどり着いて、そこで気づく。精一杯に伸ばしたこの腕の、その先の精一杯に伸ばしたこの手の、その先の精一杯に伸ばしたこの指の、その先の精一杯に伸ばしたこの爪の、その先を、すり抜けて、わたしが、そこに着いた時には、もう、もう、もう、いないね、いつも、笑っちゃうほどいつも、きみはもう、いないんだね。


case 2. ほんとうはまだ会ってもいない年下のきみを想う

きみはまだしらない。若さというものはそれだけで相手を一方的に傷つけることができるものだということを。わたしだって昔はそんなことしらなかった。若いときはわたしだって、こっちは何もかも、足りなくて、無防備なまま、晒されて、なんてずるいんだ、なんて不公平なんだ、って思ってた。でも違う。それは全く違う。若いということは、それだけで圧勝なのだ。圧・倒・的・勝・利。今はそれがわかる。出刃包丁で胸を抉られるようにわかる。若さをまだ正しくしらないきみは、存在が暴力だと思う。酷く美しい暴力だと思う。きみはまだしらない。だからわたしは注意深くかわす。長い時間をかけて粉々になってもう僅かしか残っていないプライドを懸命にかき集めて、きみのキラッキラした阿呆みたいな笑顔をかわす。射抜くような目線をかわし、伸びやかな指をかわす。きみはまだしらない。夜寝て、朝起きて、それだけで毎日確実に損なわれていくものがあることを。失ってしまったすべてをまだ充分に持ち合わせているきみを一度手に入れてしまったあとの失うことの恐ろしさを。なにかを二度失うときに味わう叩きのめされるような非情な惨めさを。きみはまだしらない。だから、その若さがどれぐらいひとを傷つけることができるのか、きみがいつかそれをしったならわたしは初めてきみをかわすことをやめる。きみに会える。でも残念だね。そのときにはきっと、きみは、もう、若くない。


case 3. また偶然会ってしまっただいたい同い年のきみを想う

駅の雑踏の中であっても一瞬できみだとわかったけれど、どんなテンションで話せば重すぎないか或いは軽すぎないかがわからなくて、しばらく後ろから眺めていた。眺めていたらどうしても触れたくなってしまって、それをごまかすために少し強く叩いて、よっ、という思いつける一番短い挨拶をした。きみはびっくりして振り返って、その顔をひさしぶりに見たらわたしはすごくすごくすごく嬉しくなってしまって、でもそれが伝わったら負けな気がしたから、すぐに前を向いて、次に乗り換える電車の話とかをした。都心の地下鉄の乗り換え通路はいつも途方もなく長いのに、その日に限って短く感じて、もっとゆっくり歩きたかったけれど、おせーよと思われたら癪なので寧ろやや早足で歩いた。ホームに着くときみが乗るほうの電車が早々に来てしまったから、ねえまた会いたい、ねえほんとはずっとまた会いたかったんだよ、って言いたかったけれど、それで今より嫌われたらいやだなと思って結局言えなかった。じゃねー、ばいばーい、とゆるい感じで手を振って、逆方向の電車に乗りこむきみを見送ることもせず、ゆっくりとすこし先にあるキヨスクの影まで歩いて、きみから絶対に見られない角度で、泣いた。

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July 6, 2012 12:18 AMに投稿されたエントリーのページです。

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