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April 2005 アーカイブ

April 23, 2005

笑い皺が、スキ

女の子の笑い皺なんて
「笑い」じゃなくて「皺」ばかりが強調されるから


エクボなんてどうでもいいけど
男の子のくっきりと刻まれる笑い皺は
やっぱり「羨ましい」と思ってしまうのです。
(ハリのある肌は素敵だけど、それだけじゃないんだよね。全てはバランスなんです。)


(負け惜しみじゃありません。)


そうそう
昔すごく好きだったと少なくともその時は信じてたかもしれない人がいて
その人は実に見事な笑い皺をつくる人でした。
ほんとにね、くっきり出来るんです。「く」の字に。
大きい目がくしゃってなって、その隣に「く」。
いっぱいの「く」。


今思うと
あたしはその人じゃなくてその人の笑い皺が好きだったのかもなあ
と思います。
少なくとも
その人がほんとに好きだったかどうかよりは自信があるな。


おかしな話なんだけど
笑い皺しっかりをつくって笑ってる人を見て あたしは
ようやく


ああ、この人は今、確かに笑ってる。

と思うことができるんです。


笑い顔を見ても笑い声を聞いても信用できないのに
なぜ笑い皺なら信用できるのか。


そんなこと あたしだって知りません。

まあでも

あたしにとって笑い皺というのは
多分
自分を騙すのにギリギリ必要な証拠なのだと思います。


けれどそうやって自分の中にだけある拠り所は
いつ出来て そしていつまでそこに在り続けるのだろう?とも考えます。
言い方を変えれば 
いつまであたしはこんな煩わしいものに煩わされていればいいんだろう?
ってことです。

何もがなんだか渓流のように涼やかに流れていく。
たまにぐるぐるなったりもする。
そんな清清しいのに、そこでは
渦とは何で、何の象徴か?
なーんて こんなフロイトがトップ切って8時間連続講義しそうなことについて小論を書く暇も与えられないまま
気を抜けば、一瞬で、巻き込まれて、流されて、
もう目が回る。
か、
垂直に落ちる。

手を伸ばしても何もないなら そこにつくればいい。

しがみつく場所は多分捏造するしかないんです。
捏造して、信じ込むことで、こっち側に留まるんです。


くっきりとした笑い皺がスキで
安心してようやく一緒に笑えるあたしは

きっといつか
自分でそういうことに決めたんだと思います。
ギリギリのところで、留まれるように。
勝手に決めて、勝手に思い込んだんだと思います。

そして、それは意外と悪くない。
少なくとも、色んなヒトの笑い皺に一々ドキドキできるのは
トキメキ至上主義者(25歳、独身、東京都出身)にとっては
割と素敵なことです。

妄想とか想像とか虚偽とか虚勢とかファンタジーとか(横文字だとイイものっぽいね)
みんな。


きちんと積み重ねれば、そっちが本当になるんです。

それがキモチイイなら
それがいい


本当になっても、本当は本当じゃなかったことを、不意打ちで思いだしちゃったりもたまにはするけどね。

April 8, 2005

ごくごくたまに、メイクを落とさずに眠るのが、スキ

女の子ですから。柔肌に憧れますから。
10年以上夏の海に行かずにわざと少し脆そうに見えるよう慎重に造りあげた白肌で
その他七難をようやく隠していたりもするわけです。
アセロラだっていっぱい飲むし
チョコラBBは神だって思うし
2日間の労働に等しい額の小さなボトルに詰まった化粧品を買ったりもするわけです。


だけど
ほんとうにほんとうにほんとうに たまに


あたしはわざと 化粧を落とさずに寝てみたりします。


お肌にとって最も悪いのはお化粧を落とさずに寝ること!
これはもう、なんというか、基本の基本です。
(徐波睡眠に入ると成長ホルモンが分泌され、それによって肌再生が行われるのです)
化粧を落とさずに寝た翌朝
わたしの肌はなんだか使い古したオイルで溶いた油彩絵具のようなものが
どろっとしているならまだしも一回りしてかさついて。
ただもう粘土の味がするグルテンの足りないピザのような。
面白いぐらいカサカサしてるのに、吹き出物ができたり。
それはもう
肌にとっては一晩、地獄の苦しみだったのだろうと思います。

それなのに
それなのに


ちょっとだけわざと、メイクを落とさずに眠る。

睡眠欲という動物的な欲望に屈する。
その背徳的な官能を。

あたしは、計算で手に入れます。


ただただ欲望に屈すること。
そんなことばっかしてたら世の中は回らないわけだし
日常生活を大事に送るのはあたしの信条だし
(ルーティーン化された毎日は、守ろうとしてこそ形而上的な観念に近づけるような気がするのです)


だけどたまには
欲望にただ流されてみたいんです。
それが禁忌とヒトが呼ぶのならなおさら。


そしてそれはたとえば。
フリだって、構わないと思うんです。

罪悪感と後悔と悦楽が相まって
そう、ちょうど背中の中心よりもすこうし下のところから
全身に向かってぞわぞわぞわってする。

たとえば水深50mの海底を想い 
ぐっと水圧のような引力でただただ気持ちいい場所へ沈んでいくような。


甘くこそばゆい感じを、また。
そのカンカクをただ味わいたくて
あたしは巧みに計算を繰り返します。

それは。
欲望に屈しているようにみせかけて、欲望に屈したいという欲望に屈する
計算と演技と周到に用意された滑稽な騙し合いなのです。


計算は理性で
欲望は理性を超えるはずで。
計算で叶えられる欲望は
もはや動物的な欲望なんかじゃない。
笑っちゃうよねえ?
嘘まみれで演出演出でみんなほんとは立ち位置がバミってあってきっと最後のセリフの秒数だって決まってる。カット変わったら位置盗んで繰り返して。そこの右腕の肘、角度覚えておいてくださいねー。あとで繋がんなくなっちゃうんで。あ、キッカケだけちょっと大きめにもらってもいいですか?ちょっと入りマース。お粉もう一回はたくんで目つむっててもらっていいですかあー?ねえ、ここ次で切り返したいからその前逆向いててもいい?これ熱いよ。なんとかならない?テストいきまーす。あ、すいません。雲待ちでーす。


でも。

そこの計算を
計算だとわかっていながら
計算じゃないふりを押し通すのが大人の遊びのルールな気がします。

それにね。
なんかの加減でその計算を間違えてなにかが決定的に違ってしまったとき


そのほうが純粋な欲望なんかよりよっぽど危険でよっぽど醜悪で
同時に凄惨な美しさを孕むと思うのです。


なら。ねえ。

やっぱりそっちがしてみたくないですか?

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