« May 2006 | メイン | August 2006 »

June 2006 アーカイブ

June 24, 2006

ウィスキーが、スキ

あたしの部屋には長いこと、常にウィスキーが一本、切れることなく置かれていた。


みんなと外で呑んでいるとき、あたしが呑むものは大体決まっている。ビールはお腹がたぷたぷするから嫌いだし、焼酎はなんだかトキメキが足りない。シャンパンは好きだけど高いし、安物のワインは悪酔いする。日本酒は帰る気が無いときにしか呑めなくて、そんなのあたしは滅多にない(意外かもしれないが、明日の予定は結構気にする方なのだ。日常はたまに大きく乱すからよいのであって、しょっちゅう乱してちゃ勿体無い)。そんなわけで結局、あたしはスプモーニやカシスソーダなんかを口にする。着てる服と、よく似合うのだ。綺麗な色のフルーツ系カクテルは。


だからあたしがウィスキーを呑むのはとても特別なときだった。
ウィスキーを呑むときはいつも、そのウィスキーよりも苦い何かを忘れたいときだった。


何かしんどい事情を抱えたとき
その事情の大きさに応じて、あたしのアルコール摂取傾向は変化する。
最も軽度なときは運悪引っかかった友達を巻き添えに、カクテルを止め処なく呑む。
その次はもっと運の悪い友達と、やっぱりどこかのお店でウィスキーを水割りで。
更に酷い場合は一人で部屋でウィスキーをロックで。
最悪の場合は、もう瓶に口をつけてストレートのまま内臓に流し込む。


あたしは呑むと顔が赤くならず、どちらかというとどんどん青白くなっていくのだけれど、これはどうやら肝臓がうまく機能していないらしく、お酒には弱いようで。ストレートで流し込んだウィスキーはあっという間にあたしの身体の自由を剥奪する。泣きながら呑んでいると、水分がどんどん出て行くから、きっとアルコールが体を駆け巡るその濃さも結果的に粘るほどに濃くなっているのではないかと、その粘り具合なんかをいつもぼんやりと想像する。カラダがどんどん熱っぽくなるころには、次第にそんな想像もままならいほどの吐き気がこみあげてくるのだけれど、それでもそこで止めてはいけない。気持ち悪いのに無理してさらに呑むと、当たり前だけどさらに気持ち悪くなって、そう、当たり前なのに、そんなことが小気味よかったりする。ほら、予想通りだ、と。あたしの予想通りに進む物事も、この世界にはまだあったんだなあ、と。


そのうち全身が痙攣して、そうするとあたしはようやく全てを吐ききることと、早く眠りたいということ、それ意外は何も考えないで済むようになる。トイレにぺたりと座り込んでいると、なんだか自分が無力で奇妙な形をした物体のような気がしてきて、そのうちそれがとても愉快になる。嗚呼、きっと今ならあたしはこのままトイレに顔を突っ込まれてそのまま排水溝へと勢いよく流されていっても、ケラケラと笑い続けたりできるんだろうな、とか。しょうもないことばかり考える。


そうこうしながら、僅かばかり残された理性を掻き集めて、なんとかベッドに倒れこむと、大抵は頭痛と耳鳴りと吐き気に襲われて、とても眠れるような状況じゃない。あたしは、ひたすら知らないカミサマに祈る。嗚呼、もう望みなんて何一つ叶わなくていいから、とにかく今すぐ痛みという痛みを全部取り除いてとりあえず深く、眠らせてください。今眠らせてくれるなら、他のことはなんだって諦めて見せるから、と。




こんな風にして
数々のデカダンとメランコリーの季節をあたしはやり過ごしてきたのだけれど。
近頃、あたしは思いがけない壁にぶつかった。


あたしがウィスキー、特に部屋に常備されているジェイムソンを呑むときというのは、大抵吐くために呑んでいるようなときで。それを、あろうことか、あたしの優秀な体は遂に学習してしまったのだ。最初のうちは、睡眠不足だからだとか、お腹が空きすぎて胃に穴が空いたのだとか、適当な理由をつけて騙し騙し折り合いをつけていたのだけれど、誤魔化せないところまで、それはすぐに進行した。最早あたしがジェイムソンに口をつけるや否や、体は吐く用意を始めるようになったのだ。オートマッチクに正確に。その情報はあたしの全内臓を操縦するようになった。


さすがのあたしも、泣き止むまでの数時間、何回かも瓶を逆さまにして天を仰いで苦吟したいわけで。一杯目で吐いては、こちらのシナリオが崩れてしまう。酔えない。情緒も何もない。ただの気持ち悪い人だ。




そういうわけで、仕方なく。
部屋の風景の一部となるほど長いこと深い緑色の瓶が君臨していたCD棚の上では
今はアマレットの大瓶が澄ました顔で微笑んでいる。




アマレットは甘い。

何杯も呑めば、もちろんお酒に弱いあたしは酔うのだけれど、その酔い方はウィスキーなんかとは到底比較にならないほど、ずっとずっと甘い。甘やかなアリジゴクの巣の中に引きずり込まれて、螺旋を描きながらだるく落ちていくような。そして麻酔が効いている中で、ゆっくりと四肢が美しい妖怪に喰いちぎられていくような。たとえ吐くまで呑んでも、吐いたあとの口障りはずっとなめらかで甘ったるく、ジェイムソンのときのあのざらざらしてツーンとした感じとは違う。それに何より、アマレットは、いい気分のときにだってちょっと呑みたくなる。ただただ甘い気分に浸りたいときや、ほろ酔いで眠りたい夜にだって。


それはつまり、全然特別じゃないということで。
そしてとても美味しいお酒だということだ。


家にあるグラスで一番キレイな薄紫色のグラスで、カラカラと氷の音を立てて味わいながらアマレットを呑むあたしは、とてもオトナのように思える。かわいらしい、上品な、オトナのオンナ。あまりにそれが素敵な気がして、そしてそれがあまりにも珍しく思えて、最初の頃は呑んでいる自分を鏡で見て、「うん、オトナだ。」と確認してみたりすらした。忘れたいことや苦しいことがあった日でも、アマレットを呑めばあたしは甘くとろけるような場所に連れて行かれてしまう。排水溝みたいなぐちゃぐちゃでどろどろでメッシーなところで自暴自棄になってしまうこともない。


どうだ、これは実際オトナではないか。
嗜好品を嗜み、夜を甘くして、にっこりと微笑む。
苦しいことは静かに受け入れ、去るものは追わず、失ったものを諦め、夜を慈しむ。
やればできるじゃないか。
ほら鏡を見て。大丈夫、あなたの横顔は今、とても「オトナのオンナ」だ!
いいんじゃない?この線もいけるんじゃない?
嗚呼、なんて素晴らしい発見!そして進歩!






けれど、アマノジャクなあたしは。
やっぱりね。
港の荒くれ者のように、ウィスキーを瓶呑みして、ひどくみっともなくなってしまう自分を失いたくない、と思うのです。


あたしにとっての人生は、そっち側にあるような。




今は多分時期じゃない。
だけど予感はもうあるのです。


ウィスキーじゃなきゃダメなときが、きっとまた訪れる。




世界が転覆していく中、全てを放り投げ、全力でみっともなくならなくてはならないときが。




あたしは今、そのときが楽しみで仕方ない。
アマレットは美味しいし、オトナなオンナなあたしもちょっと捨てがたいから、アマレットの場所は取っておいてあげよう。

だから、その奥に。そうだな、灰皿の隣かな。空気清浄機の場所をちょっとずらそう。


同じ棚の上に、また遠くないいつか。

お気に入りのウィスキーを、きっとまた、並べるのです。

June 20, 2006

台無し。これ特技。

"Life is what happens to you while you are making other plans."
「人生とは、何かを計画している時起きてしまう別の出来事のこと。」

(星野道夫)

thanks to Y.S.

About June 2006

June 2006にブログ「memorandum」に投稿されたすべてのエントリーです。

前のアーカイブはMay 2006です。

次のアーカイブはAugust 2006です。