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ずーん

3月11日から1週間ぐらい経った頃から、心臓の下のあたりに嫌な気持ちの塊のような、とにかく巨大なずーんとしたものが現れた。それが原因なのか定期的に謎の腹痛に襲われるようになり、それは日を追うごとに悪化した。そのずーんはおそらく最初から巨大だったわけではなく、小さなものがどんどん大きくなっていったのだと思うけれど、とにかく気づいたときには既に巨大だった。まあでも、酒でも飲みながら誰かに話せば解消されるよねと思ったので、それを早速実践しようと誰とどこの飲み屋に行くかまで考えたのだけれど、お誘いのメールを打とうとして、ふと考え、唖然として、そしてやめた。びっくりすることに何をどう話していいのかまったくわからなかったから。びっくり。びっくりしちゃうよねー。だってたしかにそこにあるのに、それについて、全然言語化できないんだもの。


それから考えた。しょうがないからひとりで考えた。その自分が抱えてるずーんとしたものが一体なんなのか。何が嫌なのか。少しでも言葉にできないか。実に考え続けた。考え過ぎてちょっと頭おかしくなって、逆にもうお腹がいつか痛くなくなってしまうのが怖い、痛くなくなったら考えなくなっちゃうから、だからどうしたらずっとお腹を痛くし続けられるか考えよう、とか謎の結論に行き着きかけたりさえした。さすがに引き返してきたけどそっからは。


実はまだお腹は時々痛くなるし、ずーんもまだある。だけどようやくずーんのうちちょっとだけ、言葉にできる気がしてきたから記録しておこうと思う。これは始まりでも終わりでもない、中途半端な場所の中途半端な挨拶みたいなもの。




ずーんを解きほぐして見えた1個目。考えていてわかったのは、私はどんな状況においても「ひとつになろう日本」と言われたり「みんなでがんばろう」と言われることに対してとても違和感がある、いや、かなりの生理的嫌悪感があるということ。たしかに支援の仕方としてみんながテンションを上げて一斉に同じ方向を見て何かを執り行うのはとても効率がいいと思うし「正しい」のだろうと脳みそでは理解するので一応はその波に乗ろうとした。けれど、全体主義的な同調圧力にジャブを受け続けた結果、周囲と違うことをしたり、もしくは同じことをしなかったりすることにうっかりヘドロのような罪悪感や無力感に襲われ、一方で心と身体は全力で、そんなん流されるなんて絶対に嫌だ、こっから一歩も動かない、といって泣き喚きながら脳みそに向かってエンドレスに蛍光オレンジ色のゲロを嘔吐し続けるという嫌がらせ的反抗を繰り広げ、もうぐっちゃぐちゃの蛍光オレンジ色とヘドロ色が混じり合う惨憺たる状況となったわけで、これがずーんの一部を形成したことは間違いないだろう。でももう私は脳みそではなく心と身体に従うことにした。みんなと一緒であれば安心感は得られるのかもしれない。けどね、私はひとりでいることにした。自分で思考し自分で決断し自分で責任を負いたいから。私の行動は私が決める。何をいつどうするかは私が決める。みんなも日本も日本人も関係ない。


解きほぐして、2個目。カナシミが蔑ろにされたり、当たり前のように比較されて馬鹿にされたりするのがとてもとても嫌でたまらなくて、それは喉から血が吹き出るほど破壊的な悲鳴を上げたくなるほどで、でも実際に悲鳴を上げることを自粛して代わりに押し黙っていたら、それはずーんになった。いつだって事件は世界中で起きていてそれは大小さまざまで、パブリックなことプライベートなこと、いろんなことがある。人生には本当に、いろんなことがある。もちろん大きな事件と言われるものはあって、そこには極端に大変なひとたちがいて、誤解の無いように言っておくけど、それには間違いなく胸が文字通り締め付けられる思いをする。本当に。本当に容赦ないと思うし、正直に言って遙かに想像を絶している。でも私が怖いのはセンセーショナルではないことやタイムリーではないことはもう悲しむことも許されなくなってしまっているということ。マイノリティーはいつも見捨てられる。「助かっただけよかったね」「死ななかったんだからいいじゃん」「みんなもっと大変なんだよ」。こういう言葉で潰されていくひとたちがたくさんいる。そんなの絶対におかしい。カナシミは相対化されてはいけない。悲しんでいけないことなんてひとつもない。大切なひとを1人失った子に対して「でもみんなもっと大変だからね」というのは間違っている。ましてやそういう子が「私より大変なひとがいっぱいいるんだから悲しんじゃいけないんだ」と思うのはさらに間違っている。家が流された人と突然首を切られた人とペットがしんだ人と陰惨ないじめにあっている人のカナシミに優劣はないし、被災地のカナシミも東京のカナシミも沖縄のカナシミも世界のカナシミもそれぞれにあって、それぞれ必要なだけ悲しめばいい。大声をあげて泣けばいいし、或いは只管に祈ればいい。一周回ってもう泣くことも祈ることもできないなら、もしかしたら笑えばいい。


みんなが大きな物語の大きなカナシミの塊を見てそこに大きな手を差し伸べるのなら、効率は悪くても、わたしはいつまでも馬鹿みたいな愚直さでひとつひとつのカナシミと愛をもって添い寝することを考えようと思う。みんなが「そんなことよりいま重要なことあるじゃん」、といって見向きもしない、忘れてしまった方のカナシミと添い寝する。今いろんなアートやらなんやらの人たちがこぞって「今こそ●●の力を!今我々にできること!」と大きな声をあげているけれど、だとしたら私はその間みんなが忘れ去っているカナシミとともにいよう。そもそも「今」「ここ」「この機会」以外でもいつでも100%の無防備な愛や祈りとなるのが●●の力そのものだと私は思っているよ。




ようやく少しだけ言葉にできた。こんなこと。こんなことがずーんの中に詰まってた。長かったなー。もう一生言葉にできないと思ってた。


少しだけれど、書いたら、書いたぶんだけ、ずーんが小さくなった。ぜんぶ書けたら無くなるのかな。少しずつ小さくなって見えなくなって、それともどこかで突然無くなるのかな。


でも残りのずーんはこのままにしておこうかな、と今ここまで書いて思っている。言葉にしてしまうと、ずーんのすべては伝わらないような気がするから。少しだけ言葉にして、残りは残す。ずーんは言葉にした分は小さくなったから、多分もうお腹は大丈夫。これでも引き続き痛かったら内科か産婦人科に駆け込むべきだと思う。


残りのずーんは、ずっとずーんのまま取っておこう。そしていつか得体の知れない生物に成長したらいいな、って思う。そうしたらでたらめな名前をつけて飼おう。散歩もさせよう。あと歌も一緒に歌おう。そうしよう。きっとそれがいい。楽しみだな。その日を楽しみに待つんだ。




最後に、被災者の皆様に謹んで、


と最近もらう商業メールの冒頭に「御世話になっております」と同様のカジュアルさで書かれていることを自分も書きそうになったが、やめる。たくさんの名前のあるひとと名前すらまだわからないひとのことを私は想う。数えきれない数と測りきれない重さのカナシミのことを想う。小さいこと大きいことひとつひとつのことを丁寧に想う。息を詰め、目を閉じて、言葉ではない方法で祈る。この震災と繋がっているすべてのカナシミのことを。そして同時にこの震災とはまったく繋がっていないすべてのカナシミのことも。

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April 4, 2011 10:11 PMに投稿されたエントリーのページです。

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