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ありえないことを待つのが、スキ


オペレーターが出るまで変な保留音を聞かされて3分待つのは嫌い。
ATMの列で10分待つのは嫌い。
歯医者で30分待つのは嫌い。
バスを1時間待つのは嫌い。
鳴る筈の電話の前で2時間待つのは嫌い。
帰ってくる筈の人の家の前で夜中6時間待つのは嫌い。


なのだけれど、どうしてか。

ありえないことを待つのは、結構スキなようです。

まさかなあ、ありえないよねーと思いつつ。
けれど無根拠な確信を持って、なにかをただただ気長に待ち続けるということ。
それはある意味では残酷でまさに途方が無い。
けれど、ひとつ言えることがあって。


こうしておけば。

少なくともあたしは
待っている間は死ねないのだ。


そうやって生きてきた。あたしはこの何年間か。
ひたすら待ちながら、ちゃんと見つけてもらえるようにいろいろ小細工もした。
「いつなの?」とは聞けないから、自分でその「いつ!」を決めた。
こうやって決めた「いつ!」は強い。
元々根拠の無い、あたしの冴えない勘に頼って設定された待ち合わせ日は
疑うべき根拠も無い分、自立していて、そして完成されている。絶対なのだ、つまり。

26歳になったら。
26歳になったら。
あたしはずっとそう思ってきた。
26歳は奇跡が起きる年。なんとなくそんな気がして、そのままそればかり信じてきた。
こんなにも普段ぐじゅぐじゅと理屈をこねくりまわしているあたしが
何故そんなことに確信を持てるのかは知らない。
ひょっとしたら、生きるための手段なのかもね。

それにね。
実際、強く願えば叶うのだ。
これ、ほんと。騙されたと思ってやってみてよ。

もちろんそれでもそりゃさ。
待ってたところで、
どっかの連ドラの最終回みたいに全てにハッピーハッピーな決着がつく訳じゃない。
だっておバカなあたしたちは。
慢性満足デキナイ病という難病を抱えていて
叶えられた奇跡、の、その先を期待する。
あわよくば、あわよくば、そればっか。


そうして
たくさんの後悔と混乱と虚脱感を抱えて
幾ばくかの浅ましさとふしだらさと計算高さに気づかないふりをして
夥しい量のアルコールと睡眠薬代わりにルルを体内に注ぎ込んで

「嗚呼、世界は、またひとつ、こうして崩壊した。」

と呟いたり、あるいは叫んだりして嘆く。

けど良く考えたら、もうほんとは十分祝福していい筈なんじゃない?
ありえないことが起きたこと、と、それまであたしが生き延びたこと、と。
すごくない?すごいよね。ダブルだよ。2倍喜んでいいんだよ?

そんなわけなので。
やっぱりあたしはありえないことを待ちながら生きていくのがスキなようです。
それは言い換えれば、漠然とした根拠の無い希望というものなのかもしれない。
具体的な希望はさ、ほら、
抱いたその7秒後には、きっとひどく具体的に、そしてあっけなく潰されてしまうから。


だからあたしは懲りずにまた待っている。
ぼんやりとした希望を抱きながら、またありえないことが起きる日を待っている。
遠いいつの日か、そうだな、今度はこんな春先の夜がいい。
その日まで、あたしはまたてくてくなんとか生きていく。


見失われることの無いように、いろんなところに痕跡を残しながら
崩壊させられるために、次の世界を少しずつ組み立てながら

ただただ気長に待つのです。
たまには待っていることすら忘れて、まどろみながら。


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March 6, 2006 5:59 PMに投稿されたエントリーのページです。

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