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エンドクレジットが、スキ


いろんな人がいると思うけれど
映画を見るとき、あたしはエンドクレジットは最後まで見る。


深く腰掛けた椅子の上で余韻に浸りながら、こっち側にゆっくり戻ってくるための時間として必要なのなのかもしれない。
あとはあたしが少なからず映画産業に関わってきた人間だから、身内的気分で作り手側の情報が気になるからなのかもしれない。


けれどおそらくあたしは、もうちょっと純粋にエンドクレジットにやられている。


その数。
夥しい数の人の名前が羅列された長い長いリストに、あたしはただただ圧倒されるのだ。

大きいフォントで最初にゆっくりと登場する名前たちはいい。
あの役をやった人がこの人なのね。
ほー。あ、この人うまかったなあ。あ、こいつイマイチだった。
そうだな、10人ぐらいまではわかる。
でもそのあとだ、エンドクレジットの本当の凄さは。

字はどんどん小さくなって、名前は加速度的にずらずら流れてくる。
どこにそんだけの人が出ていたのか全く想像がつかないほど、たくさんの名前がこれでもかっていうぐらい羅列される。
この2時間そこそこの作品をつくるのにこれだけの人が関わっているということ。
そのことにあたしはただただ圧倒されるのだ。
現場を覗き見てきた人間として、そんなことは重々承知されているはずなのに、
実際クレジットが流れていくのを見ると、いつでもあたしは泣きたくなってしまう。
それは単純な嬉しさとか、感動とか、そういうことではない。
圧倒なんだ、多分。もっと説明つかない感じ。
たとえその人が胸の中で「これクソ映画だなあ」と散々毒づいていたとしても。
たとえ関わったことさえすでに忘れてしまっていたとしても。
それでもその人たちは、実際、確実に、その映画の一部で。
で、ひたすらそういう人、人、人、の、名前。名前。名前。
ものがひたすら羅列されるという状態の静謐な美しさも手伝って、あたしはもう動けない。
ひたすらその名前たちを目で追い続ける。闇が明け、光が戻り、ドアが開くまで、ずっと。


ところであたしは自分の人生を映画として認識しがちだ。
自覚的なわけでは無いのだけれど、ふと気づくとそうしてしまっている。
(舞台出身なんだけど。不思議。)

たとえば一人で道を歩いているとき、あたしは大概自分にナレーションをつけてしまう。
道を歩いている自分の映像につけるのにぴったりのナレーションが、頭の中で鳴り響く。
(このおかげであたしはナレーションにだけはちょっとだけ自信がある。ナレーションの方が本編より得意なんじゃないの?)
それにカメラ位置もコマ割もきちんと浮かぶ。
あ、ここ。今。今アップね!左側からおさえてね!
そんなことをつい考えてしまっている。


人生が映画的と言っても
それは別にあたしの人生が劇的でもんのすんごい壮大なストーリーによって支えられているというわけではない。大袈裟なハリウッド映画とわかりやすい邦画と涙涙の韓国映画だけじゃないのだ、映画といっても。泣いたり喚いたり日々青春で、あげくすぐ人が死んだりとか、成田で一悶着あったりとかね。そういうわけじゃない。多分。

多分。

不条理極まり無い映画だったり、ナンセンスコメディだったり、前衛的な実験映画だったり、静かな眠い系だったり、バイオレンスな格闘系だったり、エログロ系だったり、やっぱりストーリー性のあるラブストーリーなのかもしれないけれど、

あたしはまだこの映画、道半ばなので判断がつかない。
ひょっとしたら今までは序章でこっからどんどんSFかもよ?
(でもホラーだったらやだな。サスペンスも。それだけはなんとか避けたい。)

どんな展開のどんな映画なのか。
それは想像するとちょっと楽しい。

でもそれよりも。
もしこれが映画ならば、あたしが一番楽しみなのは。

やっぱりエンドクレジットだと思うのです。

大きい役や小さい役。いろいろあるけれど。
たとえばあたしが道端で見て憧れたレースのたっぷりついた藤色のワンピースを身に着けたおばあさんだって
たとえばあたしを最悪な気分にさせたやたらもたれかかってくる排水溝の匂いを放つおじさんだって
たとえばあたしに気づかないまま素通りした運命の人だって


この画面に収められた人、みんな。
みんな丁寧に。

あたしはきちんとクレジットしてあげたいのだ。


それでできればそのエンドクレジットをじっと闇の中最後まで見たい。
思い出せる人思い出せない人
知ってる人知らない人
セリフのある人役名の無い人
エキストラもスタッフもみんな


で、きちんとありがとう、って言いたい。
思い出したくない人も思い出せない人も誰だか全くわからない人も。
一人一人の名前をきちんと噛み締めて。


照明部も音響部も制作部も他諸々のスタッフ・スポンサーも誰一人(っていうか人ですら無い場合もあるけど)自覚的に手伝った覚えは無いと思うけれど


とにかくもうなんだっていいよみんなだよ、みんな。


みんな。それで、打ち上げに来ればいいのに。

お疲れ様でしたー!

って言って乾杯したい。
あたしが奢るから、みんな好きなだけ呑めばいい。
誰かが潰れて、誰かが介抱して、恋でも勝手に生まれればいい。
誰かが一芸でも披露すればいい。調子に乗って脱いで怒られたりすればいい。
エンターテイメントとは何かについて語って、喧嘩でもすればいい。
カウリスマキでもジャームッシュでもゴダールでもカラックスでもエイゼンシュテインでもなんでも引き合いに出せばいい。

そうやって朝。
光。
光。
光。

みんなで眠いね、って言って帰ればいい。


そうそう打ち上げの前に。


エンドクレジットの最後、おまけの映像でも入れておこう。
何にしよう。
そこがセンス問われるとこだよね、きっと。


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May 28, 2006 6:01 PMに投稿されたエントリーのページです。

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